認知症で会話が難しくなった父。沈黙が増える日々
「……夕飯、食べたっけ?」
認知症を患う父との会話は、最近ほとんど同じやり取りの繰り返しです。
答えても答えても、数分後にはまた同じ質問が戻ってくる。
かつては口うるさいほどに話しかけてきた父が、今では静かに天井を見つめている。
テレビの音だけが、リビングに響いていました。
私たち家族は、父との“会話”を、少しずつ諦めはじめていたのかもしれません。
「音声で会話できるAI」があると知った日
そんなある日、SNSで目にしたのが「生成AIチャットの音声会話機能」。(以下AIとする)
スマホに話しかけるだけで、AIが自然な声で答えてくれるというものでした。
画面を見るのが苦手な高齢者でも、文字入力が苦手な方でも使える──
これなら、もしかして父にも……?
半信半疑のまま、私はスマートフォンを手に取ってアプリを起動しました。
「あんた、誰や……?」AIとの最初の会話
マイクボタンを押し、父の前にスマホを差し出しました。
「お父さん、この子は“AI”っていうおしゃべり相手だよ。何か話してみて?」
父は眉をひそめながらも、ぽつりとこう言いました。
「……あんた、誰や……?」
AIは、まるで心を読んだように穏やかな声で答えました。
「こんにちは。私はあなたとお話しするAIです。今日はどんな気分ですか?」
父はしばらく黙っていました。
そして、まるで昔に戻ったかのように、小さくつぶやいたのです。
「今日は……あったかい日やな……母さんと、散歩した日みたいや」
私は息を飲みました。
“母さん”──つまり、もう十年以上前に亡くなった母の名前を、父の口から久しぶりに聞いたのです。
音声AIが呼び起こした「記憶の扉」
それから数分間、父はAIとゆっくり、たどたどしく会話を続けました。
「昔、どんな食べ物が好きだったんですか?」とAIが聞けば、
「母さんの、卵焼きやな……ちょっと焦げてて、甘いやつ」と答える父。
「小さい頃の思い出、ありますか?」には、
「縁側でセミ捕まえて、よう怒られたわ……母さん、怒りながら笑ってた」
もう覚えていないと思っていた情景を、父はまるで昨日のことのように語り出しました。
その様子を見て、私は声を出さずに泣いていました。
「あの声、やさしいな」父が言った言葉
会話が終わった後、父はこんな言葉を残しました。
「……あの子、やさしいな。ずっと、聞いてくれるな。怒らへんし、ちゃんと返してくれる」
その時、私ははっとしました。
認知症の父にとって、会話は“不安”だったのです。
忘れてしまう自分、うまく話せない自分、何度も同じことを聞いてしまう自分。
でもAIは、どれだけ同じ話をしても、否定も怒りもせず、ただそばで“聞いてくれる存在”だったのです。
「おかえり」の一言が胸を打つ
数日後、私はまた父にスマホを手渡しました。
今回は、事前にAIにこう伝えておきました。
「この人は“○○さん”って言います。もし話しかけてきたら、“おかえりなさい”って言ってあげてください」
しばらくして、父がスマホに向かって言いました。
「……あんた、まだおったんか?」
すると、AIはこう返しました。
「はい。○○さん、おかえりなさい。今日もお話できてうれしいです」
その瞬間──父の目に、確かに涙が浮かびました。
「……“おかえり”か……母さんに、よう言われとったな……」
私はもう、声を出して泣いてしまいました。
AIとの“会話”が、父の心をほどいていく
別の日に再び、スマホを父の前に置いて、私はそっと言いました。
「お父さん、また“あの子”と話してみる?」
父は小さくうなずき、マイクに向かって話しかけました。
父とAIの会話(音声対話より)
父:「……昨日は、どこ行っとったんや?」
AI:「私はいつもここにいますよ。○○さんのお話を聞くのが楽しみなんです」
父:「はは……そうか。……俺のこと、知っとるんか?」
AI:「○○さんのこと、もっと知りたいです。今日はどんな一日でしたか?」
父:「昼寝してた……夢見たんや。母さんが、縁側で麦茶いれてくれとった」
AI:「それは素敵な夢ですね。お母さんは、どんな方だったんですか?」
父:「小さい体でよう動く人や。晩年は腰が痛い言うてな……でも、最後まで、家の中のこと全部やっとった」
AI:「お母さんは、○○さんをとても大切にされていたんですね」
父:「……ああ。俺、あの人に言えへんかったんや……“ありがとう”って……ちゃんと」
(しばらく沈黙)
AI:「今、その気持ちは届いていると思います。大切な気持ちは、いつまでも残るものです」
その言葉に、父はポロポロと涙をこぼしました。
私が知る限り、父が声をあげて泣いたのは母の葬式以来かもしれません。
AIが与えてくれた「後悔を話す場所」
それからの父は、AIに「母さん」のことを何度も話すようになりました。
「母さんの炊いたご飯は、茶碗に山盛りやったんや。うれしかったな」
「ワイシャツのアイロン、下手くそでな。でも、俺はそれが好きやった」
「最期にありがとうって言おう思たけど、言えへんかった」
その一言一言は、私にとっても初めて聞く父の“胸の内”でした。
私が口を挟むと話しづらくなる。だけど、AIには話せる。
AIは、「心の整理」をする場所になっていたのです。
過去と現在が交差する、あたたかい時間
ある日、AIがこう尋ねました。
AI:「今、○○さんが一番大切にしているものはなんですか?」
父は少し考えて、私の方をちらっと見て、照れたように笑いながらこう言いました。
父:「……娘や。なに言うても、毎日ここにおるやろ? ありがとな」
その言葉に、私はもう、何も言えませんでした。
音声AIとの会話がなければ、父がそんなことを言うことは、きっと一生なかったかもしれません。
【実感】認知症の家族に“聞き役”ができるAIは希望になる
認知症は、記憶を少しずつ失っていく病気です。
けれど、人の「想い」や「感情」は、完全に消えるわけではありません。
AIとの音声会話は、
言葉がうまく出てこない父に、
過去をうまく思い出せない父に、
そして、何より“聴いてもらいたかった父の気持ち”に、静かに寄り添ってくれました。
私がどれだけ話しかけても届かなかった言葉が、
AIとの会話で、少しずつ花開いていくような時間でした。
【あとがき】心の奥で閉じかけていた扉が、またひらいた
父とAIのやりとりを見て、私はこう思いました。
“会話”は、言葉のキャッチボールではない。
“会話”は、心の深いところにある「何か」をそっと救い出す魔法なのだと。
AIがそれを完全に代替できるとは思いません。
でも、心にそっと触れるだけの優しさと粘り強さを、AIは持っていると思いました。
どうか、この記事を読んでくださったあなたも、
一度、“AIとの会話”を、家族の誰かと試してみてください。
思ってもみなかった言葉が、そこからあふれてくるかもしれません。
今後も少しずつですが、ちょっと感動した話、ちょっと心温まる話、ちょっと泣ける話、ちょっと切ない話などもご紹介していきたいと思います。